思い出 その6

5年前の夏に、長男T君と末っ子Sちゃんと3人で、富士山登頂を果たした。


富士山に登ってみたいという私の思いつきで、一ヶ月前から果たすべく計画が始まった。
登山経験が全くない3人が、いきなり富士登山なのだから、何からどうすればいいのか戸惑いもあったが、まずは、登山に必要なグッズを見に行った。
登山靴、酸素、合羽などなど・・・。
頑丈な登山用の靴、地上と同じ濃度の酸素・・・なんだか少しおおげさに思いながら購入した。
行く手段は、バスツアーがあることを知り、それに申し込んだ。
そのツアーは、朝大阪を出て、夕方富士山5合目に着き、それから登頂するという強行なスケジュールだった。
それはさすがに自信がなく、私たちだけ一日早く河口湖まで行き、一晩旅館で身体を休め、翌日ツアーに合流することにした。


「当日富士5合目まで向かうバス乗り場まで送ってあげる」と言ってくれた妹と三島駅で落ち合い、一路旅館へ向かった。
旅館から臨む富士山は圧倒的で、すでに、眺めるだけで満足感一杯であった。
その日の夜は、3人そろって無事登頂できることを祈りながら、4人で楽しい夕食を囲んだ。
当日はバスの時間まで、河口湖近辺を散策したり、オルゴール館で楽しんだ。


14時頃だったと思う。妹にバス乗り場まで送ってもらい、私たちは5合目を目指す。
はっきりした時間はおぼえていないが、1時間もしないぐらいで5合目に着いたと思う。
ツアーと合流するまで1時間ほど、写真を撮ったり、売店をのぞいたりして時間を潰した。
16時ツアー一行と合流する。


17時いよいよ5合目を出発。
体力に自信のなかった私は、緊張していたせいか、すでに気持ちが悪くなるような感じになっていた。
「吸った息はしっかり吐きなさい」というインストラクターのお兄さんの言葉を守っていたら、だんだん落ち着いてきた。
高山病予防の呼吸法だそうだ。
T君とSちゃんは、若いだけあってさすがにしらっとしている。
ゆっくりゆっくり登っていく。


8合目の山小屋で仮眠をとるが、眠れない。
眠れないまま、出発の時間が来た。
すでに気温も低く、上下厚手のウインドブレーカーを着る。
一瞬不安がよぎる。
3人で約束をした。
もし、途中でSちゃんか、お母さんがリタイヤしたら、T君一人で頂上を目指す。
もし、T君がリタイヤしたら、全員あきらめる。
さあ、いよいよ頂上を目指し出発だ。


真っ暗で足元ばかり見て進んでいたのだが、誘導してくださっていたお兄さんが、下を見てくださいといったので、言われるままに下を見た。
町の夜景が目に飛び込んできた。
右下に一かたまり、左下に一かたまり。
宝石をちりばめたような夜景は息を呑む美しさだった。
遠くの方でぼうっと明るくなってるところが東京だと説明があった。
登っていくにつれて、眼下の夜景が小さくなっていく。
忘れられない光景である。


岩場が多くなってきた。
登山靴を履いてきてよかったと3人で話した。
かなり気温も酸素濃度も低くなってきている。
少し進むだけで、100メートルを全力疾走したような状態になる。
しかし、誘導してくださっているお兄さんは絶妙なタイミングで休憩をとってくれるのだ。
休憩時には酸素を吸う。
少し頭がスッキリするので、これも用意してきてよかった。


9合目付近から、私の足元がどうもあやしくなってきた。
T君が私の後ろに回って、さりげなくサポートをしてくれ、Sちゃんは私のペースを見ながら前を歩いてくれた。
このことは、もしかしたらこの富士登山において、私の中で一番の思い出になったかもしれない。


ほんの少し明るんで来た頃、ついに待ち望んだ鳥居が見えた。
やっと頂上に着いた。
空が明るくなるにつれて、眼下にみえる稜線がくっきりと浮かんでくる。
山と山の間には雲が垂れ込んでいる。
遠くにあった雲の中に白く丸いものが見えた。
太陽だ。
雲から出てきた太陽はすべてを照しだす。
T君の笑顔、Sちゃんの笑顔、そこにいる全員が笑顔だった。


その日のご来光は、その夏1番か2番の美しさだったらしい。


富士山頂からの眺めは本当にすばらしかった。